キリストへの時間 2013年8月4日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

後登雅博(清和学園聖書科教諭)

後登雅博(清和学園聖書科教諭)

メッセージ: あなたを助けてくださる神

 おはようございます。清和学園の後登雅博です。
 この世の歩みにおいては、色々なことが起こります。調子の良い時もあれば、悪い時もあります。全く予想だにしないことも起こります。あの3月に起こった地震もそうです。わたし達はいまだに、あの地震の痛みを引きずっているのではないでしょうか。多くの人が、今もなお闇の中にあるように感じておられるのではないでしょうか。わたし達は、あまりにも大きな悲しみに出会うと、言葉を失ってしまいます。もう二度と輝く朝を迎えることはないのではないか、とさえ思うほどです。

 しかし、わたし達の痛み、わたし達の現実に目を留めてくださる方がいるのです。聖書にはこう書いてあります。「神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。」(コロサイ1:11-12)
 神の力によって強められ、わたし達がどんなことにも根気強く耐え忍ぶことが出来る、というのです。わたし達の中からは、力が出てこない時もあるでしょう。しかし、わたし達の中からではなく、わたし達の上から神が力を添えてくださるのです。 そして、神の力を信じて耐え忍ぶ時、わたし達は神の相続にあずかるのです。神の相続とはなんでしょうか。それは、わたし達が、神の子とされているということです。そして、神の子であればこそ、父なる神の守りを期待できるのです。さらに言えば、神の子とされるとは、聖霊なる神の働きによるのですから、神がわたし達の中に住む(1コリ3:16)とも言えるのです。そうすると今度は、上から神の力が注がれるばかりでなく、わたし達の中からも、神の力があふれてくると言えるのです。

 聖書には続いてこう書いてあります。「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」(コロサイ1:13)実は、真の神を知るまでは、わたし達は闇の力に支配されていたのです。闇の力とはなんでしょうか。それは、神を認めない力のことです。つまり、神を必要としなくてもやっていける、と考える人間の高ぶった思いです。神の力を必要としないのですから、わたし達が神に代わって何もかもをしなければなりません。でも、人は自分の力だけで何でも出来るほど万能でしょうか。自然の力を前にして、いかに人間が無力であるか、あの地震によって見せつけられたのではないでしょうか。

 あの日以来、わたし達は多くのものを失ってしまいました。家族や住む場所、生活の糧など、その他にも多くのものを失ってしまったのです。それは本当に、痛ましい事実です。この現実に向き合うためにも、わたし達を強くすることのできる神の力が必要なのです。神への信仰と言っても良いかもしれません。目に見えるもの、手で触ることができるものは、古びていきますし、なくしてしまうこともあります。だからこそ、どのような現実の前にも決して古びず、決してなくならないものが必要なのです。それが、神なのです。

 「困ったときの神頼み」という言葉があります。しかし、神であれば何でも良い、というわけではありません。「イワシの頭も信心から」という言葉もありますが、イワシがいかほどの助けになるでしょうか。「悩みの日にわたしを呼べ。わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるだろう」(詩編50:15)と言ってくださる神を呼び求めてください。神が必ず、あなたを神の子としてくださいます。神が必ず、あなたを助けてくださいます。あなたを必ず、闇の力から救い出してくださいます。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2013 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.