おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
あす、7月の第3月曜日は、「海の日」として知られる国民の祝日です。この日を祝日と定めた法律によれば、海の日は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ために定められた祝日です。
なるほど、周りを海に囲まれたわたしたちの国、日本にとって、海のもたらす恩恵は計り知ることができません。海洋国であるわたしたちの国が繁栄し、その受けた恩恵を国際社会に還元していくことができれば、これほど栄誉なことはありません。
ところで、聖書の中では、海もまた天地万物の造り主である神の作品として描かれています。旧約聖書創世記の記事によれば、海は、3日目に陸地が出現することによって、海という名前で呼ばれるようになったと記されています。
このあたりの聖書の記事は、今のわたしたちからすれば、ずいぶん興味ある書き方でその様子を語っています。聖書によれば、そもそも創造のはじめの地は混沌であり、闇が深淵を覆い、神の霊が水の上を動いていた状態でした。この無秩序、混沌の世界に、光が造られて、闇と光が分離され、大空が造られて、大空の上の水と下の水とが分離され、さらに、大空の下の水が一つ所に集まって、乾いた陸地が現れて、海と陸とが分離されるようになったというのです。混沌であった世界が、こうして秩序ある世界として整えられていったのです。
創世記によれば、混沌の世界の水が、海としての意味を持つようになったということなのです。やがて海は生き物のすみかとして、大小様々な生き物で満たされます。
このように秩序ある世界へと整えられて誕生した海ですが、聖書の中では、この同じ海が混沌の世界の象徴のように描かれることもあります。それは荒れ狂う海を体験した者にとっては、受け入れ易い象徴であるように思います。
旧約聖書のダニエル書の7章には不気味な四頭の獣が波立つ海から這い上がってくる幻が描かれています。同じように新約聖書の最後の書物、黙示録の13章には、海から上がってくる不気味な獣の姿が描かれます。特に黙示録に描かれる海から上がってきた獣は、神に逆らう権力者の姿です。
面白いことに、この黙示録には、救いが完成して新しい天と新しい地とが姿を表わすときに、そこには海がないと記しています。もちろん、これは象徴的な意味で、救いの完成した世界には、二度と混乱した無秩序な世界が出現しないという約束なのでしょう。
そういう意味で、イエス・キリストが波風を沈める奇跡の話も、単に自然界に対するキリストの力を示しているだけではないのかもしれません。海が象徴する混沌と無秩序の世界に対して、聖書はイエス・キリストこそ救いをもたらすお方であることを指し示しているのかもしれません。
海の日から始まったきょうのお話でしたが、太古の時代から地球を覆っている海をめぐって、聖書が語る海の意味を取り上げてみました。とくに混沌の象徴として描かれる海に心をとめたいと思います。荒れ狂うわたしたちの混沌の世界から、神はわたしたちを必ずお救いくださいます。