おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
きょう7月7日は七夕です。そもそも七夕が何の日であるのか、ということについて、正確に知っている人は最近ほとんどいないように思われます。ただ、誰もが知っているのは、この日は彦星と織姫が年に一度天の川で会うことを許された日、という七夕伝説の話ではないかと思います。そして、願い事を短冊に書きしるして笹に飾ると、その願いがかなえられるということだけが、今でも夏の風物詩として行われている七夕であるように思われます。
ところで、星を見てそこから一つの物語を生み出す才能というのは、たいしたものだと思います。イマジネーションがなければ物語を生み出すことはできません。しかも、一年を通しての星の動きを把握していなければ、七夕伝説のような話は生まれません。七夕伝説に限らず、世界に存在する様々な神話は、太陽や月や星を見て、人間が生み出した空想の物語ですが、人間が持っている創作力や空想力に頭の下がる思いです。
ところで、聖書の世界では、天体そのものが神になったりはしません。これは聖書を記した人たちが、他の民族に比べて、空想力が劣っていたからではありません。もちろん創作力が欠如していたからでもありません。そうではなく、天地万物を造られたただ一人の真の神がいらっしゃる、という信仰が、あらゆる気ままな空想を排除したからです。
旧約聖書の最初の書物、創世記は天地創造の話から始まり、太陽も月も星も、あらゆるものが神によって造られたと宣言します。ですから、造られた天体が神になってしまうという発想が生まれる余地がないのです。
では、聖書の世界の人々は、天を仰いで何を感じたのでしょうか。
旧約聖書詩編の8編はこう歌います。
「あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。 月も、星も、あなたが配置なさったもの。」(8:4)
天を仰いで月や星を眺めるたびに、それを造って配置された神の御業の偉大さをそこに見ているのです。しかし、そればかりではありません。この詩編の作者はさらに続けて歌います。
「そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。 人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。」(8:5)
ここには神の偉大さとともに、その偉大な神が、宇宙の中の小さな存在にすぎない人間に目を止めてくださるという、神の恵みに対する驚きが表現されています。
人間が小さな存在にすぎないことは、誰もが知っています。知っているという知識の問題ばかりではなく、その小ささ、無力さを嫌というほど思い知らされる経験をすることもあります。しかし、そんな力のない人間をも心に留めてくださる神がいらっしゃるのです。
この詩編の作者は、月や星を見るたびに、わたしたちに目を注いでくださる神を思い起こしているのです。この広い宇宙の中で、わたしという人間は小さな存在に過ぎないかもしれません。しかし、神の目に留まらないほど、意味も価値もない存在なのではありません。
きょう七夕の夜、わたしたちに目を留めてくださるまことの神の存在に思いをはせましょう。