おはようございます。今回お話させていただく、山田教会の武藤柚季です。大学生です。わたしはこの度、信仰告白の恵みに預かることが許されました。クリスチャンとしての第一歩を歩み始めたところです。今朝は、どうしてわたしが信仰告白をしようと思ったのか、また、どのようにこれからの信仰生活を歩みたいと思っているのかを、お話したいと思います。
わたしは両親ともにクリスチャンである、いわゆるクリスチャンホームで育っています。ですから、幼児洗礼を受けています。幼い頃から家族で教会に通うのが日課でした。神様という存在を小さい頃から受け入れて育ってきました。ですが、小学校高学年から高校生くらいにかけて、あまり教会に足を運ばなくなってしまいました。今から思い返すと、ちょっとした反抗期だったのだと思います。ですが、当時のわたしは学校での人間関係や、家族内の問題に悩んでいる時期でもありました。少し屈折した角度で物事を見てしまっていて、心から神様を信じることができなくなっていました。
そのように教会にも通わず、お祈りもせず、怠惰な生活をずっと送っていたのですが、高校生の時に大学受験に差し掛かりました。毎日勉強しているのに、行きたい大学に学力が伴わないという苦痛や、自分の将来が見えないという不安で、胸が押しつぶされそうになりました。人生で初めて味わう挫折に、毎日涙がこぼれて、それまで自分が好き勝手に生きていたことを、心から反省しました。そこで初めて、本当の意味で、神様への悔い改めの気持ちが生まれました。そして、お祈りをするようになりました。
そんな時に母から、息抜きで教会に行こうと誘われ、素直な気持ちで教会に向かうことができました。教会では、お祈りしているね、といった風に多くの方がわたしに声をかけてくださって、すごくじんときたのを今でも覚えています。教会って大切な場所なのだな、と気づかされました。
そして受験も乗り越えて、新しい土地で、全く初めての教会に通うことになりました。多少の不安はあったのですが、教会ではみなさんとてもよくしてくださって、教会が大好きになっていきました。そして、この度20歳という、ある意味で節目の年齢に達して、信仰告白を心に決めました。今までは両親が何でも責任を負ってくれましたが、これからは自分の足で生きていかなければなりません。ですが、急に独り立ちするのは難しいことだとも思います。そこで、これからの人生で、わたしは何を自分の軸にしたらよいのかと考えたときに、それは信仰ではないかなと思いました。わたしが人間である限り、どうしても罪を犯してしまいます。それは、法律上の罪ではなくて、心の中に人を憎む気持ちや、嫉妬心が生まれたり、ちょっとした嘘をついてしまったりします。それははっきり言うと、自分ではどうしようもないことかもしれません。ですが、その罪のためにイエス様の十字架があるということをいつも覚えて、悔い改めの気持ちを忘れたくはないです。そして、神様の前に恥ずかしくない生き方を、これからわたしはしていきたいと思います。