おはようございます。南与力町教会の丸岡洋希と申します。
ある年齢になりますと、あの方には一言だけでも感謝やお詫びの言葉をかけておきたい、と思うことがあります。ところが案外、その一言をかける機会はやってこないものです。
小学校の友達、浜田君もその一人です。
昨今は、手作り弁当コンクールなどで、親子のほほえましい弁当風景に心が癒されます。
今でこそ、学校の昼食時間はにぎやかな一時ですが、昭和30年頃の小学校の教室での昼食は、弁当を隠すようにして食べる、そんな静かな雰囲気でした。
小学校3年の級長だったわたしは、『お弁当は明るく、楽しく食べましょう』と提案し、段々とお互いの弁当を見せ合うぐらいの、明るい雰囲気になっていきました。
でも、わたしの隣の大柄の浜田君は弁当を体全体で囲うようにして、もくもくと食べていました。
「そんなに隠さいでもえいろ」と声を掛けると、浜田君は恥ずかしそうで困ったような何とも言えない、力ない表情で僕を見上げました。
底が深くて大きな弁当箱を覗いた瞬間、子供ながらわたしは「しまった!!」と心の中で叫び、次の言葉が出ませんでした。
浜田君の弁当箱にはずっしりとご飯だけが詰められ、その上に梅干しが一個のっかっていただけでした。
にぎわう教室で、彼は梅干しだけの弁当をほおばっていたのです。
わたしはかっこよい学級目標に得意になり、周りを見渡すことも、自分の恵まれすぎている環境にも気付かなかったのです。
彼とは中学校卒業後会えず、あの日のことを詫びることなく50年が過ぎてしまいました。
やがて、浜田君の弁当から大切なことを教えられました。
当時彼の家庭は大変貧しく、お母さんが早朝から漁師の網引きや、工事現場で重労働をしながら生活を支えていました。お母さんは、貧しく苦しい家計のやりくりの中で、大食漢の息子の空腹を満たしてやりたいとたっぷりのご飯の梅干し弁当を持たせたのでしょう。
あの弁当にはお母さんの、汗と労苦と何よりも息子に対する出来る限りの、母親の深い愛情がびっしりと詰まっていたのだなあと気づきました。
わたしには気づかなかった母親の苦労と愛情を、しっかりと受け止めていた彼を思うとき、わたしは恥ずかしく、浜田君にもお母さんにも謝りたい。しかし、同時に「けんどお母さん、あの梅干し弁当は、手作り愛情弁当コンクールの最優秀賞やった!」と伝えたい。
物に満ち足りたわたしたちは、より華麗で豪華なものを追い求めますが、そこにある大切な目には見えない温かい愛情にこそ、心を留めたいものです。
わたしたちの命や、人生についても同じようなことがいえるのではないでしょうか。
新しいいのちが産声をあげる時、多くの人が神の豊かな愛と、神秘的な神の業を覚えます。しかし、いつしか神の愛を忘れ、人々は人生の船出をいたします。
夢に向かって豊かな人生を歩み楽しむことは、すばらしく大切な事です。
しかしながら、わたしたちは目に映るこころよいものだけに、心を奪われてはなりません。神の愛が、わたしたちの命の根源であることを思い起こさねばなりません。
聖書は教えています。
命を与えて下さった神は、あの瞬間の、豊かな愛と大いなる業をその日からとどまることなく一人ひとりに、永遠に注ぎ続けられる、と教えます。
わたしたちの人生の歩みは、平坦ではありません。絶望、なぐさめ、困難、恵み、喜びや悲しみ。交錯した毎日です。
しかし命を与えて下さった慈しみに満ちた神の愛が、今日も明日もどのようなときも絶えることなく一人ひとりに注がれ、そしてこの命全体が神の愛で満たされていると信じる時、わたしたちの心に平安と共に、新たな希望が湧いてきます。
浜田君の愛情の詰まった梅干し弁当は、わたしの命についても大切なことを気づかせてくれたのです。