おはようございます。横浜にある青葉台教会の山村貴司です。
先週もお話しましたが、わたしは23歳から約6年ぐらい、パリの街外れの古いアパートで、無神論者の画家として生活していました。当時わたしはどんなものにも興味を持って、まあどこにでも出かけて行きましたけれども、唯一嫌いなものがありました。それは「教会」でした。もう教会は大嫌いでした。当時教会は何か弱い人、力がない人が行くところ、まあそんな風に思っていたからです。けれども後日、教会とはむしろ人間は弱く力ない存在、人間は自らの内に命のない存在であることを教えてくれるところ、重要な真理を教えてくれるところであることを知りました。けれどもわたしがそれを知ったのは、もちろんそれからずっとずっと後のことになってからでした。
では、そんな教会が大嫌いなわたしがどうして教会に行くようになったのか。はっきりしていることがあります。それはわたしが自分自身の意思で行くようになったのではない、ということです。今になって振り返ってみると、そこにはさまざまの、そしてくすしい神のご計画と働きかけがあったのだと思います。
振り返ってみると第一に、わたしがパリに導かれたこと自体が神様の導きでした。この街は200メートルほど歩けば教会が建っているほどのキリスト教の街、聖書文化の街です。そこではさまざまな点で日本とは価値観が違っていました。
例えば日本では、仕事や会社が一番という傾向がありますけれども、フランスでは人間を一番大切な存在、ま、このように考えて生活しています。日本ではからだに鞭打って働くことは美徳ですけれども、ここでは美徳ではありません。ここではどんなに大切な仕事よりも大切なもの、それが人間でした。この世でわたしたち一人ひとりの存在よりも大切なものはない。そしてそこれが、この街の価値観でした。神様は、このようにわたしを聖書文化の街に置くことを通して、わたしに御心を示してくださいました。
ふたつめに神様は、わたしの画家としての仕事から色々なことを教えてくださいました。近所で草花をつむいで、わたしはしばしばアトリエに持って来て、そのテーブルの上で花瓶に入れて絵を描きました。刻々と花びらを開かせる様子を見て、わたしはこう問いかけました。「いったいこの命は誰が咲かせるのだろう。命はどなたが作られるのだろう。」と。
この世には「人間には不可能なことはない」という考え方があります。皆さんはどう思われますでしょうか。わたしは人間にはできないことがある、と思います。人間には花びら一つも開かせることができませんし、けさの食卓のニンジンやジャガイモも作り出すことはできません。聖書によるとそれは神様が作り、神様がわたしたちに与えてくださったものだと教えられています。人はすべての命を神様から与えられて生きているのです。神様はこんな風に自然界を通しても、わたしを導いてくださいました。
最後に神様は、わたしのアトリエにある人を遣わし、そして一冊の書物を通してわたしを導いてくださいました。井水さんという方がくださった、ヒルティーの「眠れぬ夜のために」という書物です。その本の一節に、人の生きる究極的な問い、人生の目標は何かを書いたものがありました。それは、当時わたしが人生の真の目標を理解せず、生存競争のただ中で生きていた時に与えられた一節でした。そこにはこうありました。「人生の唯一の目標は、地上に神の国を、つまり不和や生存競争の国ではなく、平和と愛の国を築くことにある」“人生の目的は、地上に不和や生存競争の国ではなく、愛の国を築くことである”。わたしはこの愛という言葉と、その価値観で人生を転換させられました。わたしはこの愛という価値観でその後の人生を歩むことになったのです。
このように神様は、パリの街でわたしに、実にさまざまな形で語りかけ、み手を伸ばしてくださり、ご自身の元へと導いてくださったのでした。神様は今も生きておられます。そして今もわたしたちにさまざまな形で語りかけ、み手を差し伸べておられるのです。