いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ノーベル平和賞を受けたアウンサン・スーチンさんが自由を求めて長い間たたかってきたということがあって、ミャンマーという国をご存じの方も多いと思います。
政治的自由が回復されつつあるように思われますが、3月31日の朝日新聞に仏教徒とイスラム教徒の対立と暴力が国内に広がっているという記事が載っていました。
世界のニュースを見ていると、政治的な変動と共に宗教的対立が始まるということが目立ちます。なぜ政治と宗教が簡単に結びつくのでしょうか。ひとつには、宗教の権威を持ち出すと、「絶対だ」、「妥協するな」、「従え」ということが言いやすくなるからです。また、人の命を軽くすることさえできます。宗教改革時代の宗教戦争やドイツにおけるユダヤ人虐殺はその例です。日本でも、国体と神道が結びついて、敗戦まで絶対的な力が国の内外で横行しました。
宗教は本質的に平和を求めるものだといわれます。半分は本当ですが、人の血を流してきたことも歴史的事実であり、キリスト教も例外ではありません。
それゆえ、わたしたちは、「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」とのマタイ5章9節を何度でも読み直すことが必要です。ただ読むのではなく、読み直すことです。
聖書は、読む人により、また何をどう聖書に問いかけるかにより、意味が違ってきます。聖書は何度も読み直すことで輝きが増してきます。