いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
イスラエルの北部、ガリラヤ湖のほとりのカファルナウムという町でのことです。イエス様は、神様のことを教えてくださる、また病気も癒してくださる、というので評判でした。人々は何とかイエス様にお会いしたい、と押し掛けてきましたので、今日も戸口のあたりまでも隙間がないほどになりました。でも、ただイエス様を見物に来たわけではありません。イエス様のお話、説教を聞きに集まったのです。小さな教会ですね。
ところがイエス様がお話ししておられるところへ、中風の病人が、戸板のようなものに乗せられて、4人の人に運ばれてきました。この病人は運ばれてくるくらいですから、自分では歩けません。ですから、イエス様にはまだお会いした事はありません。お会いしたことはないけれど、評判を聞いて、このお方ならわたしの病気を治してくださる、平安を与えてくださるにちがいない、と考えました。イエス様を見ないで信じたのですね。
今の時代は科学的で、見えないものは信じない。理解できないものは受け入れない。それが当たり前のようです。信仰のことでも、イエス様が見えるところに、わたしの手でさわれるところにいてくださったら素直に信じられるのに、と考えやすいですね。
イエス様の時代に、イエス様を見ないで信じた人がいます。その一方で、見ても、話を聞いても、さわっても信じない人もいました。イエス様ご自身が、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:29) と言っておられます。