いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
あるとき、イエス・キリストの耳にこんな悲惨なニュースを告げる者たちがいました。
ローマ帝国からユダヤに遣わされた総督ピラトが、礼拝中のガリラヤ人を虐殺したというのです(ルカ13:1)。
キリストはこのニュースを知らせた人たちに、被害に遭ったその人たちは、他のガリラヤ人よりも罪深かったからだと思うか、とお尋ねになりました。災難がある人に降りかかるのは、その人に何か特別な原因があるからだ、と考えるのは人間の浅はかな知恵です。もちろん、今のわたしたちならそんな考えは抱かないでしょう。
しかし、その浅はかな知恵でも、自分や自分の人生について深く洞察する機会を与えるのであれば、まだ役に立つかもしれません。問題は、このような悲惨な事件をきっかけに、自分の人生について深く洞察しようとはしないで、他人事で終わってしまう態度です。
イエス・キリストはこの出来事から、わたしたちに何を問いかけようとされたのでしょうか。この世の中に起こる不幸な出来事が、なぜその人に起きるのか、本当の理由はどこにあるのか、ということでしょうか。決してそうではありません。そうではなく、自分は大丈夫だと思うその安心感をキリストは問題とされているのです。機会あるごとに、神の審判を思い起こして悔い改める真摯な態度をキリストは求めていらっしゃるのです。
今日の言葉…「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」ルカによる福音書13章3節