ご機嫌いかがですか、勝田台教会の坂井です。
キリスト教において「救われる」というのは、一言で言ってどういうことなんですか?とこう問われることがあります。いろんな答え方があると思います。それは、罪の赦しのことです。あるいは永遠の命を与えられることです。などなどですね。どれも正しい答えであります。でもわたしの場合でしたら今は、「神の子とされることですよ。」とこういうふうに答えるのが、一番包括的な答えかなと思っております。
イメージとしましては、寂しいみなしごであった者が、あたたかな家族の一員として養子として迎えられるという風に考えていただくとよいと思います。イエス様はわたしたちを一人ひとり家に連れ帰っては、自分の弟として、あるいは妹として家族に入れてほしいと、父である神様に願ってくださるんです。
わたしたちはそのようにして、神の家族に迎えられ、神様を親しく「お父さん」と呼ぶことができるんです。これこそ最大の喜びであり、慰めです。ヨハネの手紙第一の3章1節の御言葉に聞きましょう。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実またそのとおりです。」