お元気ですか。横浜中央教会の立石です。
昔、日本の総理大臣がアメリカの大統領にこう言いました「日本人の主食は米です。日本ではアメリカのことを米国と言います。それほどわたしたちは親しい国なのです。よろしくお願いします」。さあ、これを翻訳させられた通訳の人は大変でした。こんな内容の無い、おまけに相互の文化を無視した馬鹿な挨拶を通訳させられた人がかわいそうでした。
さて新約聖書の半分は手紙です。使徒パウロの手紙が13通、そのほかはヤコブ、ペトロ、ヨハネ、ユダの手紙です。手紙ですから最初は挨拶で始まり、最後も挨拶で終わります。ローマ書の最後の部分では「誰々によろしく」という挨拶が21回も出てきます。このよろしくと翻訳した言葉は「挨拶します」「歓迎します」という意味です。初代教会では民族の異なる人々が教会員となりましたから、いつでも「わたしはあなたに好意を持っています」と意思表示することが挨拶でした。
日本語の「よろしくお願いします」という言葉は英語に翻訳することができません。日本人同士で「よろしく」と言えば、その場の雰囲気でなんとなく分かりますが、こういう抽象的な言葉は英語のような具体的な言葉に翻訳することは難しいんです。
わたしたちがお祈りする時に「神様よろしくお願いします」などとは言いませんね。神様に具体的な言葉を使って感謝を表し、讃美し、具体的なことをお願いするのです。言葉は文化です。わたしたちの信仰告白の言葉は具体的でなければなりません。神様をどのように信じているか、わたしに与えられたこの命をどのように用いるかという具体的な知識がわたしたちには求められているのです。