いかがお過ごしでいらっしゃいますか。せんげん台教会の浅野正紀です。今日も聖書の教えに共に耳を傾けましょう。
わたしたちの救い主、イエス・キリストの十字架の死には、どのような意味があったのでしょうか。
使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一 1章18節で、こう語りました。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
十字架とは、死刑の道具であり、十字架につけられるのは、犯罪人です。ですから、普通に考えたら、十字架につけられたイエスをわたしたちの救い主と信じることは、愚かなことのように思えます。
ところが、パウロは、イエスがわたしたちを救うために十字架につけられたという教えを愚かと言う者は、滅んでいく者であると語っています。わたしたちの普通の知恵では、主イエスがわたしたちを救うために十字架につけられたということを理解することができません。神様の働きかけによらなければ、十字架につけられたイエスを救い主と信じることはできません。わたしたちは、神様から与えられた信仰によって、イエス・キリストの十字架の死の意味について理解する必要があります。
わたしたちは、主イエスの十字架の死によって、自分の罪がゆるされて、神と共に生きていくことができるようにされました。ですから、わたしたちにとって、主イエスの十字架の死は、救いに導く神の力です。