いかがお過ごしでいらっしゃいますか。せんげん台教会の浅野正紀です。今日も聖書の教えに共に耳を傾けましょう。
わたしたちの救い主、イエス・キリストは、十字架につけられ、犯罪人の一人のようにされました。このイエスの十字架には、どのような意味があったのでしょうか。
使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙2章6節から8節で、次のように語っています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
イエス・キリストは、神の子です。ところが主イエスは、この神の身分に固執しませんでした。主イエスは、自分を無にして、わたしたちと同じ弱さを持った人間の姿で生まれて下さいました。そしてさらに、十字架の死を味わうほどまでに神の前で従順を示されました。
このイエス・キリストの僕としての姿は、十字架につけられ殺されるという最も苦しく、最も恥ずかしい死によって、はっきりと現わされました。主イエスの十字架の死は、神の前でのへりくだりを現わしています。神の前で、自分を低くして人に仕えていくへりくだりの姿を主イエスの十字架に見ることができます。