いかがお過ごしでいらっしゃいますか。せんげん台教会の浅野正紀です。今日も聖書の教えに共に耳を傾けましょう。
わたしたちの救い主イエス・キリストは、十字架につけられて犯罪人の一人のようにされました。主イエスは、マタイによる福音書16章24節で、弟子たちにこう教えられました。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」
十字架とは、死刑の道具です。十字架につけられる犯罪人は、自らがつけられる十字架を背負って、死刑場へと向かいました。「自分を捨て、十字架を背負う」とは、人々にさらしものにされる恥を受け、死へと向かうことです。
すなわち、自分の存在、自分の命がおびやかされることがあっても主イエスに従うことを第一とすることができるかと、主イエスは弟子たちに問われました。
ところで、主イエスは、十字架につけられて殺されました。ですから、本当の意味で、「自分を捨て、十字架を背負った」のは、主イエス・キリストだけです。
主イエスは、わたしたちがまことの命に生きるために、自分を捨て、十字架の上で、自分の命を献げて下さいました。だからこそ、わたしたちも自分の十字架、すなわち、自分の苦しみ、自分の恥を背負ったまま、主イエスに従って生きていくことができます。