あさのことば 2013年4月22日(月)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

浅野正紀(せんげん台教会牧師)

浅野正紀(せんげん台教会牧師)

メッセージ: 十字架につけられた救い主

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。今週一週間、番組を担当させていただきますせんげん台教会の浅野正紀です。一週間、どうぞ宜しくお願いいたします。

 ほとんどの教会の建物には、しるしとして十字架がかかげられています。十字架を見れば、それが教会であるとすぐにわかります。
 十字架とは、そもそも死刑の道具でした。死刑の道具である十字架を建物のしるしにかかげるとは、何だか不思議な感じがします。普通、十字架につけられるのは、犯罪人です。十字架につけられることは、肉体的な苦痛が伴うことはもちろんですが、さらしものにされるという精神的苦痛も伴う残酷な刑罰でした。この死刑の道具である十字架を教会が建物のしるしとしてかかげるのは、イエス・キリストがこの十字架刑によって殺されたことによります。

 ルカによる福音書23章32節から33節にはこう記されています。
 「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」
 イエスは、犯罪人と共に十字架につけられました。イエスは、神の子であり、わたしたちの救い主であるにもかかわらず、十字架刑という最も残酷で、最も恥ずかしい刑罰を受けられました。今週は、イエス・キリストが十字架につけられたことの意味について共に考えてみましょう。

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