いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
小さな子ども同士で遊んでいるのを見ておりますと、いろいろなことを約束しているのを見ることが出来ます。指切りげんまんをしたりしている姿は微笑ましいものです。
けれども、わたしたち人間の誓い、約束は必ずしもたしかではないように思われます。そもそも何かにかけて誓うということ自体、わたしたちはあまり信じていないのかもしれません。
けれども聖書には神様が、ご自身にかけて人を祝福すると誓ったということが書かれております。そしてこの神様の約束がわたしたちにとって最高の希望になるといいます。それだけではなく神様の約束を自分のものとして持っているということが、一人ひとりの心にとって錨のようになるともいいます。
わたしたちは日ごろから、様々な悩みを抱えて生活をしております。心が迷い、揺れ動くことがしばしばあります。自分を失いそうになることすらあるかもしれません。けれども、わたしたちにはしっかりとした錨があるといいます。それはわたしたちがどれほど揺り動かされても耐えることができる錨です。なぜなら、その錨に結ばれた鎖は天につながっているからです。天のイエス様につながっているからです。イエス様とわたしたちが一本のきずなで結ばれているのなら、そこにわたしたちの希望があり、その希望こそがわたしたちの心の錨となってわたしたちは大胆に生きることができます。