いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカ福音書3章21節以下に、イエス様が洗礼を受けた時のことが次のように記されています。
「洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
「天が開けて」とは天が裂けてということばです。イエス様が洗礼を受けて救い主としてのお働きを始めようとしたとき、その頭の上で天が裂けて聖霊が降ったのです。
この出来事の意味は、イエス様において、目に見えないはずの天上の神とその救いが見えるようになったということです。もちろん、この時開かれた天は、今は見た目には閉じられています。しかし、イエス・キリストは神の救いを実現したお方であり、十字架の死こそが、わたしたちが救われて永遠の命に生き、その時がきたなら神の御国に入れていただける根拠と保証です。このお方において、今も天は開かれています。天上と地上がイエス様において繋がっているのです。
イエス様の救いのみわざは、この後に行われることです。しかし、そのみわざが成就したところで天が開かれたのではありません。福音宣教をはじめるに当って、イエス・キリスト、このお方において天が開かれました。
このことは、救いのみわざ以上に、イエス・キリストというお方、このお方自身において天が開かれていることを意味しています。それゆえ、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が降ったのです。このお方はキリストであり、神のみ子です。