いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカ福音書3章に、イエス・キリストが福音宣教を開始される直前、洗礼者ヨハネに神のことばが降ったということが記されています。
このヨハネは、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を大胆、熱心に宣べ伝えました。すると、大勢の人々が洗礼を受けたいと願って集まってきました。そこで、ヨハネはよろこんで洗礼を施したのかというとそうではなく、「悔い改めにふさわしい実を結べ」(ルカ3:8)と人々になお厳しく迫りました。
洗礼を受ければそれでよいという間違った安心を否定し、生活を変えることを求めたのです。
ではどのような生き方を求めたのでしょうか。人々に向けては「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」(11節)、税金を徴収する者には「規定以上のものは取り立てるな」(13節)、兵隊には「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」(14節)と語りました。
いかがでしょうか。難しい生き方ではありませんね。持っている者は持たない者に分けなさい、決まっている通りに税を取り立てなさい、自分の給与で満足しなさい、ということなのですから。
聖書が教える悔い改めとは、特別立派な善人になりなさいということではありません。当たり前の生き方をしなさいということなのです。ただし、わたしたちには、普通に生きることが難しいことなのです。聖書を読み、普通に生きることについて考えてみてください。