いかがお過ごしでしょうか。東京恩寵教会協力牧師の千ヶ崎基です。今週は、イエス様がお受けになられた十字架の苦しみを覚えて過ごす受難週です。そのことを思いながら、御言葉を聞きたいと思います。
マタイによる福音書27章32節から44節に、イエス様が十字架に付けられる場面が出てきます。イエス様は、十字架に付けられたとき、通りを歩いている人々、イエス様を捕えた祭司長や長老たち、一緒に十字架刑に付けられた囚人たちから馬鹿にされました。
それは、「お前が神の子なら十字架から下りて、自分を救ってみろ」というものでした。イエス様に対する、疑いや、からかいから生まれる罵りが、イエス様を十字架へと付けたのです。
もちろん、イエス様は神の御子、神ご自身でありますから、十字架から下りることなど簡単に出来たことでしょう。イエス様は、数々の奇跡をされたことが聖書にありますので、それを見ただけでも十分わかります。
なぜイエス様は、十字架から下りられたはずなのに下りなかったのでしょうか。イエス様を十字架へと固執させたものは何だったのでしょうか。
それは、罪深いわたしたちを救いたい、救わずにはおられないという、イエス様がわたしたちに対して抱いていた愛の心、それだけです。
その一つの思いを抱きながら、イエス様は裁判を受け、十字架に引き渡される時に受けた様々な苦しみ、罵りの中を歩まれていったのです。
わたしたちを救いたいと思われたキリストの愛こそが、今、わたしたちに向けられているのです。