いかがお過ごしでしょうか。東京恩寵教会協力牧師の千ヶ崎基です。今週は、イエス様がお受けになられた十字架の苦しみを覚えて過ごす受難週です。そのことを思いながら、御言葉を聞きたいと思います。
イエス様は、ご自分のことをよく思っていない人々に訴えられ、総督ピラトの前に引かれていき、裁判を受けました。ピラトはイエス様に罪を見いだせなかったのですが、民衆はイエス様への敵意を大きくします。
当時は祭りの時期で、群衆の申し出により囚人の一人を釈放するという習慣がありました。ピラトは、群衆に向かって「イエスと他の囚人とどちらを解放してほしいか」と言って、イエス様を釈放する選択肢を示しました。
しかし群衆は、罪を犯していないイエス様を釈放するのではなく、暴動と殺人を犯した犯罪人の釈放を求めました。その結果、群衆はイエス様を十字架に付けたのです。
なぜ彼らはそれほどまでしてイエス様を十字架へと付けてしまったのでしょうか。ヨハネによる福音書19章15節で、ピラトが「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えています。
彼らは、真の王を知らない民となってしまいました。イエス様こそが罪なき神の御子、真の王であることを知らないこと、忘れてしまうこと。それこそが、イエス様を十字架へと付けてしまった罪です。
そのようなわたしたちのために十字架へと向かわれたのがイエス様なのです。