いかがお過ごしでしょうか。東京恩寵教会協力牧師の千ヶ崎基で。今週は、イエス様がお受けになられた十字架の苦しみを覚えて過ごす受難週です。そのことを思いながら、御言葉を聞きたいと思います。
教会では聖餐式と呼ばれる儀式が行われます。イエス様が聖餐式を定められたお話が、マタイによる福音書26章26節から30節にあります。
イエス様は、過ぎ越しの食事と呼ばれる席でパンを裂き、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われ、更に杯を取り、「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血だ」と言われました。
旧約聖書の時代、神様がご自分の民イスラエルを奴隷状態のエジプトから救おうとされる出来事がありました。神様は初子を殺すという災いをもたらすことにしました。
同時に神様は、子羊の血を家の鴨居に塗るよう指示され、その通りにしたイスラエルには災いを下さず、従わなかったエジプトに災いが下りました。そのようにしてイスラエルは救い出されました。そのために必要になったものが犠牲となる子羊の血でした。過ぎ越しは、「他の何かによる身代わりによってあなたがたは救われる」ということを示し、その頂点こそが、主イエス・キリストだと伝えているのです。
イエス様が、十字架で血を流してわたしたちの身代わりとなって死なれたのは、滅びではなく救いを、死ではなく命をわたしたちにもたらすためでありました。
教会で行われる聖餐式は、イエス様の十字架の死をわたしたちに知らせ、イエス様の十字架の死がわたしたちの罪を赦すための、最も尊い身代わりの死であったということを示しているのです。