いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。今日のテーマは「愛」です。
キリスト教はよく「愛の宗教」と言われます。「愛」という言葉を用いてキリスト教の教えをひと言で言い表すなら、「キリストから愛されていることを知って、人を愛することができるようになりなさい」です。
親の愛、男女の恋愛が尊いことは確かです。しかしキリストの愛は、全く純粋であるという意味で比類ないものです。「愛」は「自己犠牲」と言い換えることができます。つまり、自分より他の人を大切にすることです。自己犠牲は時に、親子の関係や恋愛関係の中に見られます。例えば、人は愛する相手のためならどんなに苦労してもいい、と思う。それはすばらしい。しかし少し遠い友人・知人となりますと、すこしおっくうになるでしょう。まして見知らぬ他人となりますと、「その人のために自分の労力・時間を使おう」というような気がふつう起こるでしょうか。わたしたちの愛が純粋ではない証拠です。
自己犠牲の頂点は他人のために自分の命を懸ける、ということでしょう。キリストはまさにそうです。「イエスはわたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによってわたしたちは愛を知った。」(1ヨハネ3:16)と聖書にあります。この純粋な愛を、心動かされて受け入れることが「キリスト教信仰」です。キリストに愛されてこそ、人を愛する。