いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。今週のテーマは「愛」です。
まず、世間一般では「愛」はどんな意味で使われているのか考えてみましょう。「好き」と同じ意味でも使われます。たとえば、「わたしはバラを愛する」という時の「愛する」。これは感情ですから、移ろいやすく「キライ」になるかもしれません。その時の気分によっても変わるでしょう。また、愛は愛欲の別名としても使われます。特に男女のドロドロした性的欲望の意味でも使われます。
しかし愛の意味はこれだけでしょうか。「恋愛」や「親の愛」と聞くと、もっと清らかな真実なものを感じます。それは何でしょうか。自分のことより相手のことを大切にする、自己犠牲ということではないでしょうか。これが人間にとって非常に大切なこととして、心の奥底に響いてくるのではないでしょうか。
もっとも、それらの愛も純粋とは言えません。テレビのかっこいい恋愛ドラマの中で男が愛する女に向かって、「君が欲しい」というのを聞くと、相手に尽くすというより相手を自分の満足のために奪うという感じを受けます。親の愛といっても、子供を所有物のように扱う親を見ると疑わしくなります。それでも、純粋ではなくても、ここにはやはり自己犠牲の思いがあります。言葉を変えて、自分を捨てるという日常生活ではふつうありえない思いが含まれています。