いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
集団生活をしていると、知らず知らずのうちに順番をつけたくなったり、自分はどのあたりに位置するのだろうかと思ってしまいがちです。そして、とかく自分の方が少しでも優れているとホッとしたり、逆に劣っていると気分が悪くなってしまいがちです。それだけに、自分の位置づけを知りたい反面、たちまちのうちにその状況を認めたくない自分も出てくるのではないでしょうか。
イエス・キリストの弟子たちは、イエス様のお役に立ちたいと願っていたことでしょうが、自分たちの中で誰がいちばん偉いのだろうかという思いを持っていました。その思いはイエス様が十字架に付けられることを話された時も持ち上がってきたものでした。
こんな大事な場面で何ということを!でも、果たして他人事のようにそのような批判をすることができるでしょうか。確かに誰もが一番になりたいと思うわけではないかもしれません。けれども、心のどこかでねたんだり、ひがんだりして、一番でないと気が済まない、そういうことはないでしょうか。
その思いが大きく膨らみ、時にはイエス様の十字架を横に置いてまで夢中になってしまう、残念なことです。だからこそ、そのようになってしまうわたしたちの思いをすべて負ってくださるために十字架による罪の赦しが必要だったのです。そして、十字架の前にあって、一人ひとりが大切な存在であることがイエス様によって教えられるのです。