いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
キリスト教会が発行する印刷物や、会堂の前の看板に掲げられている言葉でよく見かけるものがあります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。御覧になられたこと、お聞きになられたことはありませんか。
これは新約聖書の一番はじめにあるマタイによる福音書11章28節にある言葉でして、イエス・キリストが語られたものです。わたしたちの毎日の生活で、疲れきってしまう、重荷がある、そういうことはないでしょうか。これは今も、聖書が書かれた2000年前も変わることはありません。
そのような時、その疲れを、重荷をどうにかしようというのではなく、「わたしのもと」、イエス・キリストのところに持ってきなさいというのです。これは具体的にはどうしたらよいのでしょうか。それが祈りです。祈りといえば、願い事を聞いてもらえるようにということ、確かにそれもそうです。でも、それ以上に、自分には抱えきれないからこそ、それを申し上げていく、もっというならば、預けてしまう、よろしくお願いしますと任せることです。そのためには先方にそれを受け止めるだけの実力が必要です。
そのわたしたちの重荷を受け止めてくださったのが、イエス・キリストの十字架です。その重荷を、苦しみを全部わたしがこの十字架で負った。だから、わたしたちはこの方に向かって祈り、そこから確かな力をいただいていくのです。