いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。
詩編42編2節からです。
「涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。」
人間の自然破壊により自然が失われつつありますが、日本ほど気候もよく水も豊かで、植物も動物も生きるのに適した国土はないそうです。ですから、「谷に鹿が水を求めるように」と書かれていると、谷川の冷たい水を飲みながら親子で憩っている鹿を思い浮かべがちです。
しかし、この比喩はそのようなほほえましいものではありません。鹿は喉が渇き、ここなら水にありつけると思って来たのに、川は干上がり谷は涸れてしまっていたのです。「涸れた谷に鹿が水を求めるように」とは、「飢え渇いて苦しい。このままでは死んでしまう」という悲惨な状態を表す胸を締め付けられるような比喩なのです。
この詩人はこの比喩を用いて、自分自身の魂が悲惨な状態にあることを告白しています。そして、「自分の魂はうなだれている。呻いている。神よ、この渇いたわたしの魂を命で満たしてください」と祈っているのです。
詩人は、飢え渇いた自分の魂を注ぎ出すように祈り求めています。天の父なる神は、このような真実の祈りを求めておられます。そして、このように真実に求める者に、必ず慈しみと救いと命を送ってくださるのです。