ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
東日本大震災が起こってしばらく経ってからのことです。教会の礼拝に来られている一人の青年が、東北の被災地に行ってボランティア活動をして来られたというのです。その彼がボランティアを志した理由は「神様はどうしてこのようなことが起こることを許されたのか」という深刻な問いに対する答えを見つけるためだったと言うのです。そして、彼は「はっきりした答えは見つけられないまま帰って来ました」とわたしに語りました。
「どうしてこんなことが起こったのか」。誰もが抱くこの問いに対して、誰もが納得する答えを見つけ出すことは無理なのかも知れません。しかし、この問いを抱きながら被災地に赴き、ボランティアをした彼の態度はある意味では正しかったのではないかとわたしは思うのです。なぜなら、彼は答えることのできないような難しい問題を前にして迷うだけではなく、まず自分にできることを考え、行動することができたからです。
聖書の中でイエス様も同じような理不尽な出来事に疑問を抱く人々に、自分勝手な理由を考え出すのではなくて、神様がこれらの出来事を通してあなたに何を求めておられるのかをまず考え、行動しなさいと教えておられるのです。
聖書の言葉
「シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。」ルカによる福音書13章4節、5節です。