ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
教会では聖書研究会と言って、出席者同士で聖書の内容について話し合う時があります。わたしがまだ教会に行きだして間もないときのことです。「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:15)と言うイエス様の言葉の解釈で問題が起こりました。この言葉について、わたしを教会に導いた親しい友人は「子供は天使のようなまだ罪も知らない存在だから天国に入るのだ」と語るのです。そこでわたしは「子供だって自分勝手で、放っておけば悪いことをする」と反論したのです。どうもわたしたち二人がお互いに抱いている子供についての印象は大きく違っていたようです。わたしたちの話し合いは平行線をたどって解決がつきませんでした。
聖書の言葉を正しく理解しようとするとき、まず大切なのはわたしたちがその言葉を読んで抱く印象ではありません。聖書の時代の人々がその言葉をどのように理解し、またどのような印象を持って聞いたかを理解することが大切なのです。わたしたちが牧師の助けを借りたり、聖書についての解説書を読む必要がある理由はここにあります。是非、あなたも聖書を読むために教会においで下さい。わたしたちは喜んであなたが聖書を読むお手伝いをしたいのです。
聖書の言葉
「宦官は、『手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう』と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。」使徒言行録8章31節です。