ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書ヨハネの手紙一の4章には「神は愛だからです」とか「神は愛です」という言い方が出てきます。
この言葉が意味していることは、神様は裁いたり、赦したり、恵みを与えたり、懲らしめたり、そして愛したり、ということではないということです。つまり、色々と神様がなさることの中の一つに愛があるということではないということです。そうではなくて、「神は愛です」というのは、言わば神様の本性が愛ということです。そうするとどうなるのかというと、神様のなさるすべてのことが、愛という本性から出てくるということになります。具体的に言うと、神様は愛をもって赦し、愛をもって裁き、愛をもって恵み、愛をもって懲らしめる、ということです。そのように神様のなさるすべてのことが、愛によっているということなのです。聖書はそのように教えています。
人間の限られた知識や経験では、神様のなさることは、時に計りかねることがあります。どうして神様がこういうことをなさるのだろうかとか、神様はわたしのことを顧みてくださらないのだろうかとか、そんなふうに思うこともあるかもしれません。しかし、聖書では、神様の本性が愛だと確かに教えているのです。あらためて、すべての背後に神様の愛があることを信じていきたいと思います。愛は証明されるものではなく、信ずべきことがらです。
日々の生活の中に、その背後にある神様の愛を信じ、見出したいものです。人生に新しい意味を見出したいものです。