ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書ヨハネの黙示録2章4節、5節に次のような言葉があります。
「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」
これは、エフェソにある教会に向けられた神様の言葉です。
エフェソにある教会は、初めのうちは神様の愛の中で歩み、自らも愛を持って歩んでいたのでしょう。ところが、だんだんそこから離れてしまったようです。どんな事情があったのでしょうか。その前後を見るとどうやらこの教会は、何が正しいか何が偽りの教えか、何が真実で何がうそか、そういうことを見分けるのに熱心だったようです。そのこと自体は決して悪いことではありません。偽りや嘘や間違った教え、そういうことを見抜いて排除していく、これは大事なことです。しかし、そのことに熱心なあまり、愛が失われていったのではないかと思われます。それで神様から、「初めのころの愛から離れてしまった」と言われたのでしょう。
キリスト教を知っていく、神様を知っていく、ということは愛を知っていくということでもあります。神様に愛されているということを知る、それを知って、自分も神様を愛し、そして人をも愛していくようになるのです。そこが抜け落ちてしまうと、キリスト教もゆがんだものになってしまいます。ですから初めにすることは、神様に愛されていることを知る、分かっていく、信じていく、ということになります。聖書は、神様があなたを愛していると教えているのです。