おはようございます。仙台カナン教会の國安光です。
かつてわたしは手術を受けたことがあります。手術なんてへっちゃらだ、そう最初は思っていました。でも実際に手術をしてみると、あまりの痛みと苦しみに、涙が止まらず、心の奥深くがだんだんと涸れてしまいました。極限状態の中で、何かたよるべきものを求めずにはいられませんでした。
あなたもそのようなご経験はありませんか。そのようなとき、あなたなら何に助けを求められるでしょうか。
聖書にはこのようにあります。「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く」(詩篇42編2-3節)
聖書の詩人は、危機に瀕している鹿に自分を重ねています。渇いた鹿は生きていくために、川の水を求め、めぐり歩きます。水を得ることができれば、鹿は力を得ることができます。そんな渇いた鹿のように、詩人は神を求めると言います。神が、魂の渇きを癒してくださるからです。
神は求めるものに命の水を与えてくださいます。心の奥深くに存在する渇きを知り、わたしたちを豊かに満ちたらせてくださいます。水を求める鹿のように、わたしたちの魂は神を求めます。