メッセージ: 支配者からの迫害と解放(使徒12:1-10)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
日本では何故キリスト教が嫌われるのか、という問いを掲げるとき、ある人はこの問い自体にこう反論するかもしれません。誰もキリスト教のことなんか嫌うほど、関心も興味もない、と。また別の人はこう反論するかもしれません。キリスト教を掲げた医療や教育や福祉活動は、嫌われるどころか、日本の社会にも貢献し受け入れられてきた、と。
確かにそれらの反論は正しいかもしれません。しかし、キリスト者や教会がその信仰的な立場を貫こうとする場面に、社会が直面するような時には、途端に嫌われ者にされてしまうというのも本当です。独善的で排他的で、妥協を許さないその態度が、不愉快だというのです。
しかし、日本の社会が普遍的な価値を重んじ、寛容で協調性に富んでいるかというと、必ずしもそうではありません。自分たちの価値観が重んじられ受け入れられる限りにおいて、寛容であるにすぎないのです。これは何も日本社会に限ったことではなく、どんな社会でもコミュニティでもそうです。特にその社会を支配している者にとっては、自分たちの支配にとって都合が悪いものは、すべて排除したいと思うものです。
さて、使徒言行録の中で、ここに至ってはじめて、政治的支配者の介入という事態が起こります。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 12章1節〜10節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。
先週は、飢饉に襲われたエルサレムの貧しい教会のために、パウロやバルナバたちが援助の品を集めて送った話を学びました。それとほぼ同じ頃の出来事と思われますが、政治的支配者ヘロデの手がついに教会にまで伸びてきます。飢饉に見舞われ困窮しているエルサレムの教会に、また新たな困難が襲います。
ちなみに、ここで登場するヘロデ王というのは、イエス・キリストが誕生するころ、パレスチナの支配をローマ帝国から任されていたヘロデ大王とは別の人物です。ヘロデ大王の亡くなったあと、領地は息子たちによって分割統治されますが、福音書の中で洗礼者ヨハネの首をはね、イエス・キリストの尋問にかかわったヘロデは、ヘロデ大王の息子の一人、ヘロデ・アンティパスとして知られている人物です。
きょうの個所に登場するヘロデ王は、ヘロデ大王から見ると孫に当たる、アグリッパ一世として知られている人物です。このヘロデ・アグリッパは、叔父に当たるヘロデ・アンティパスの取った政策を真似て、ユダヤ人の反感を極力避ける政策を取ってきました。
ヘロデ・アグリッパ一世がキリスト教を迫害するようになったのも、キリスト教に対する直接の反感からというよりは、ユダヤ教の主流派に取りいって、自分の政治生命を安定させたいと願う思惑があったからでしょう。数の上から見ればまだ少数派にすぎないキリスト教を保護するよりも、自分の政治生命に直接の影響力のあるユダヤ教の主流派に味方した方が、政治的に安定した統治を行えると考えたに違いありません。また、将来、自分の統治にとって火種となるようなものは、早いうちに消しておきたいという思いもあったことでしょう。
迫害の手はとうとうヨハネの兄弟ヤコブに及びます。ここに出てくるヤコブは、言うまでもなく、十二使徒の一人、ガリラヤの漁師、ゼベダイの子ヤコブのことです。この12章にはもう一人のヤコブが出てきますが、そちらはイエスの兄弟にあたるヤコブで、エルサレム教会の主だったメンバーの一人でした。ヘロデに殺されてしまうのは十二使徒の方のヤコブです。
ヤコブを剣にかけて殺害したことが、ユダヤの民衆の意にかなったことを見て取ったヘロデ・アグリッパ王は、さらに迫害に弾みをつけて、ついにペトロをも手にかけようとします。
折しもユダヤの最も大切なお祭り、除酵祭の時でした。除酵祭というのは過越祭に引き続き、ニサンの月の14日から7日間にわたっておこなわれる祭りです。モーセによってエジプトの奴隷状態から解放されて、約束の地を目指してエジプトを脱出する、ユダヤ民族にとって忘れてはならない記念のお祭りです。
その祭りのときにペトロを捕らえようとしたのは、決して偶然のことではなかったでしょう。イエス・キリストが処刑されたのも、この過越祭の時でした。キリストが処刑されたのと同じ祭りのときにペトロを処刑すれば、見せしめの効果も大きいことでしょう。そして、ユダヤ人の歓心も買うことができたでしょう。
もちろん、イエス・キリストを処刑するときには、ユダヤ人自身がそれを計画しましたが、今度はヘロデ・アグリッパ自身が考えだしたことです。祭りの最中に血を流せば、返ってユダヤ人の感情を逆なでしてしまう可能性もあります。慎重に、祭りが終わるまで時を待ち、ペトロを牢獄に閉じ込めておきます。しかも、四人一組の番兵を四組用意して、監視させます。おそらく四人一組の番兵が交代で24時間監視したのでしょう。
さて、その時、教会ではどのようなことがなされていたのでしょうか。手も足も出なくて、ただ怯えて家に閉じこもっていたのでしょうか。それとも剣や棒を用意して、ペトロを奪還すべく着々と準備を進めていたのでしょうか。
使徒言行録は「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」と報告します。
教会は強大な権力者の前に手も足も出なかったのではなく、また、自分たちの力でペトロを奪い返そうとしたのでもなく、ただ万物の支配者であられる神に対して、熱心に祈っていたのです。全能の父なる神こそ、すべてを支配し、力あるお方だからです。
神は祈りに応え、不思議な方法でペトロを牢から救いだします。助けられたペトロでさえも「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」と使徒言行録は、この時のペトロについて語っています。
権力者の迫害の前に、なすすべもないと思われる時、それでも熱心な祈りだけが、迫害に対抗しうる大きな力となるのです。
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