ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
18世紀から始まった、歴史上のイエスという人物に対する研究は、福音書の様式史的研究を経て、20世紀には大多数の学者によって、次のような結論に至りました。つまり、福音書が描いているイエスをいくら研究しても、歴史上のイエスに到達することができない、という結論です。なぜなら、そこに描かれているのは、イエスについての口頭伝承を担った原始キリスト教団の生活の座によって支配されたキリスト像にすぎないからだ、というものです。それ以降、福音書の研究は、歴史上のイエスに対する関心から、伝承を編集して福音書を記述した福音書記者の神学へと研究の関心が移って行きました。
もちろん、この「史的イエス」についての研究は、その後まったく顧みられなくなったというわけではありません。福音書にしるされた記事から、最古の伝承を切り分けて、そこから歴史のイエスにたどりつくには、より厳密な方法論が求められているという研究者の自覚がいっそう強いものとなっていきました。
ただ、その研究がどんなに困難を極めるものであるとしても、わたしにとって動かしがたい事実と思えることは、イエスの弟子が確かに存在し、その弟子を選んで存在させたのは、他ならない歴史のイエスそのお方であったということです。
きょう取り上げようとしている個所は、そのイエス・キリストの弟子たちが、イエス・キリストの強い意思を受け継いで、ユダの脱落によって欠けた弟子団を補充しようとする話です。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 1章15節〜26節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
今、お読みした個所には、イエスを裏切ったイスカリオテのユダに代わって、使徒の新しい後継者マティアが選ばれる経緯が描かれていました。前回取り上げた、弟子たちが集まって二階の部屋で祈っていたその機会とは、別の日の出来事です。今回の場面には、前回集まっていた人々よりも、遥かに多くの人数が集まっています。その数は百二十人ほどとありますから、弟子たちが集まって祈っていた二階の部屋に入り切れそうもない人数です。もちろん、百二十名というのは文字通りの数字ではなく、十二の十倍という象徴的な数字かもしれません。そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。詩編にはこう書いてあります。
『その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。』
また、
『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。