皆さんおはようございます。
わたしは今、高知県下で唯一つのミッションスクール清和女子中・高等学校の校長として、今年の4月に赴任してまいりました黒田朔と申します。これから4週の日曜日にわたって、わたしの為に神様がどんなに素晴らしい人生を備えて下さったかをお知らせしたいと思っています。
今からもう50年も前の事です。私は大阪にある府立の岸和田高校の聖書研究会を通してクリスチャンとなりました。結婚した時に「学校の先生と牧師にはならない」という約束をしたんですが、4年間のサラリーマン生活の後で、なんとその約束違反もいいところで、牧師になり初めて行った教会で13年、そしてハワイのホノルルでなんと28年、合計41年の牧師生活を致しました。そして、引退した後、何と、今度はならないといっていた学校の先生として高知の清和学園の校長となったのです。誰もがピックリですが、一番ピックリしているのは本人のわたし黒田であります。
この放送をお聞きになっておられるあなたが、もし生活に疲れたり、面白くないと思いながら惰性で毎日過ごしていらっしゃる、それでいて人生ってそんなもんだと、思ってらっしゃるとしたら、ぜひ今日あなたに聞いていただきたいと思っています。キリストを信じて従えば、あなたの人生もピックリ人生に変わるということです。
わたしがキリストを信じることにしたのは高校3年生の時でした。友達に「おい、黒田、ただの英会話教室を見つけたぞ」と言われて誘われたのが、初めて教会に行ったきっかけでした。そこで、「神様…」と本気でお祈りしている同じ年頃の高校生を見て「付き合いきれんわ…」と思いました。でも、それでもただの英会話と宣教師が出してくれるおいしい紅茶とホームメードのクッキは魅力的で、それに釣られて行っているうちに、ある時気がついたんです。自分は理屈を並べて見せかけで生きているけれど、教会に来ている人たちはどこか違う。彼らは中身があるようだ…でも、私は彼らほど単純に信じることは出来やしない。また、何もキリスト教だけが正しいとは限りゃしない。十人十色、皆それぞれ違った生き方があっていいはずだ。そう言って自分の信じない理由を並べ立てていたのです。
ところが、或る時、ふっと気がつきました。
「人のことはあれこれ言っているけれども、じゃあ、黒田、お前は一体何色だ?」
と肝心の自分の色が分りません。一度きりの人生、あの色この色で生きることは出来ない、とすれば自分の色を決めなきゃならない。一体何色を選んだらいいのか。
何色が良いのか分りませんでした。沢山知っているわけでもありません。全部試せるわけでもありません。結局、どれか一つを選ぶとすれば、その時のわたしに言えたのは、「クリスチャンがどうも一番良さそうだ、信頼でき、まともで、それも楽しそうに見える。」
だから、自分も聖書を信じてみようと決めたんです。そしてこの「信じて見よう」という決心が、今日のわたしを導いてくれたんですね。
そこで、わたしは日頃お世話になっていた宣教師に報告に行ったんです。
「先生、神様を信じることにします、決めました」
すると、宣教師はにこにこ笑いながらこうおっしゃいました。
「黒田さん、聖書にはね、こう書かれているんですよ。
『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためです』(ヨハネ15:16)」
わたしは、上手いこと言うなと思いました。ところが、この清和に着任した時見せられた学校案内のパンフレットを見てビックリしました。パンフレットを開いた見開きにこう書いてあったのです。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選ぴました。」
今日ここにいるのは、あの時決心して神様がわたしを選んでくれたからだ。そうゆうことに気がついて驚きました。神様を信じる人生っていうのはそんな人生なんですね。あなたにもそうゆう人生が与えられるように、あなたのものになるように、心から祈っています。
それではまた来週。ダイヤルを合わせてください。ごきげんよう、さようなら。