キリストへの時間 2012年7月15日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

後登雅博(清和学園教師)

後登雅博(清和学園教師)

メッセージ: 苦しみをわかってくださるイエスさま

 おはようございます。清和学園の後登雅博です。
 わたしたちは、人生においてしばしば色々な試練に遭います。病気になったり、事故に遭ったり、親しい人の死に接したりすることもあります。数え上げればきりが無いくらい、いくらでも試練と思えることがあります。そんな時、わたしたちはどうすれば良いのでしょうか。
 色々な解決策があるかと思います。人に相談する。気分転換に出かける。休息を取る。逆に、気を紛らわすために忙しくすると言う人もいるでしょう。もしも何かの信仰を持っている人なら、お祈りするかもしれません。いや、信仰のない人であったとしても、試練の時には是非祈って欲しいと思います。わたしの信じる神様は、あなたを助けることが出来ると信じているからです。

 さて、わたしの信じる神様とはどのような方でしょうか。聖書にはこう書いてあります。「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(ヘブライ2:18)。わたしの信じる神様とはイエス・キリストです。イエス様は、自分も試練を受けて苦しんだのだ、と聖書は言うのです。神様なのにわたしたちと同じように苦しんだと言うのです。どうしてでしょうか。
 病院に入院したことが無ければ、なかなか入院生活の大変さを理解することは出来ません。肉親をなくした苦しみも、体験してみて初めて分かるものです。自分が苦しんだ分だけ人の苦しみが分かり、同じような境遇にある人を慰めることが出来るのかもしれません。

 イエス様は、今苦しんでいるあなたの苦しみを良く知っておられるのです。なぜなら、自ら苦しみを経験されたからです。逆に言えば、わたしたちの苦しみを知るために、自ら苦しみを経験されたと言えるかもしれません。キリストの受けた苦しみとは何でしょうか。それは、十字架にかかると言うことです。十字架は苦しい刑罰です。死の直前まで苦しみ、苦しみの果てに死を迎えます。しかし、キリストの苦しみは肉体的な苦しみだけではありませんでした。キリストの苦しみとは、神と人とに見捨てられると言うものでした。
 あなたが苦しんでいる時、相談できる人や、そばに居てくれる人がいれば、いくらか苦しみにも耐えやすくなるでしょう。ところが、キリストの場合、苦しみの中にある時、全くの孤独だったのです。愛する弟子達はキリストを捨てて逃げてしまいました。キリストは人に見捨てられたのです。そして、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と十字架の上で叫んだのです。キリストは神にも見捨てられたのです。

 これが、わたしの信じる神様、イエス・キリストです。キリストはこれ以上ない苦しみ、試練を受けたのです。ですから、あなたの苦しみがどれほど深いものかを知っておられるのです。あなたの苦しみを知っている方が居るという事を忘れないでください。この方は、あなたを愛しているからこそ、すすんで苦しみを受けられたのです。そして、聖書によれば、十字架で死なれただけでなく、死からよみがえったとも書いてあります。つまり、キリストは苦しまれましたけど、それで終わったわけではないのです。むしろ、苦しみと戦い、勝利したのです。

 イエス様は、苦しみの果てに死んでしまっただけの弱い神ではありません。むしろ、死にさえ打ち勝った力強い神であるのです。復活の力を持った神が、あなたの苦しみを知り、あなたを支えてくださるのです。ですから、あなたは一人ではないのです。あなたは、決して見捨てられることはないのです。

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