お早うございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
千年に一度の大津波と言われた昨年の震災では、多くの町が町ごと失われるような悲しみと苦しみを経験しました。
昨年4月に避難所を訪問された福音歌手の森祐里さんは、石巻市の中学校と小学校を訪ねて、体育館や教室で避難生活を続けておられる方々を前にして「上を向いて歩こう」や「ふるさと」などたくさんの歌を歌いました。森祐里さん自身が、阪神・淡路大震災で被災された体験があり、そのとき、弟さんを亡くされました。
厳しい避難所暮らしを続けておられる方々の思いを代弁しながら、それでも、なお希望をもってお互いに助け合うこと、支え合うこと、信じることを優しく語り、被災された方々を励ましました。このコンサートに参加した一人のご婦人は、「地震が来ても、津波が来ても泣かなかった。でも、今日は思い切り泣きました。」と感想を述べられたそうです(日本国際飢餓対策機構 飢餓対策ニュース2011年5月号より)。
いつでも、どんなときでも、自分の心が平安であることをだれもが求めているのではないでしょうか。そして、苦しいとき悲しいときにその心を知ってくれる人がそばにいることほど、慰められることはないでしょう。この森祐里さんの歌を聞いて涙した一人の婦人のように、緊張や不安の連続の日々から解放されて心から泣くとき、わたしたちは心のいやしと慰めを経験します。
そして、このような悲しみのときに、わたしたちの心に最も近い御方は、神様の霊である聖霊という御方です。
イエス・キリストはこの聖霊という御方についてこのように約束されました。「むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(ヨハネ16:6-7)と。
この聖霊とは、イエス・キリストが十字架にかけられ、三日目に墓からよみがえられ、天に上げられた後に弟子たちに降った御方です。十字架は弟子たちに絶望と悲しみをもたらしました。しかし、復活の主イエス・キリストに出会った弟子たちは、見違えるような変化をとげ、喜びに溢れてイエス・キリストの福音を人々に伝え始めました。聖霊は「弁護者」また、「助け主」「慰め主」として、わたしたちの心をわたしたちの代わりに最も良く知ってくださる御方です。
新約聖書のローマの信徒への手紙8章26節にはこのように書かれています。「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」と。
このように、聖霊はわたしたちの思いをすべて知ってくださり、たとえ言葉にならないうめきや、深い悲しみを覚えるときにも、最も良い導きを与えてくださる御方です。
この聖霊の導きによって、イエス・キリストを迫害する者から福音を宣べ伝える者に変えられたパウロという伝道者は、こう言いました。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(コリントの信徒への手紙二 4:6)。
わたしたちの人生は、はかなくいつ死ぬともわからない身ですが、永遠の神様から注がれる聖霊は、わたしたちの心に神様のすばらしさとその輝きを知らせてくださいます。
どうぞどのような悲しみ、苦しみのときにも、これからも、この聖霊という御方のそばにあなた様の心を置いてくださいますように。心より、イエス・キリストの慰めと平安をあなたのために祈ります。