いかがお過ごしですか。千城台教会の田上尚美です。
わたしには真理という10歳の娘がおります。彼女がまだ5歳のころ、2年間、家族でオランダに滞在しました。
真理はその9月から近所の現地校に入り、12月にはようやく言葉がすこしわかってきました。オランダの冬は寒い上に日が短く、朝の8時半の登校時刻にはまだ薄暗いのです。すれ違う人の顔もよくわからない中、親が子どもの手を引いて学校に連れて行きます。
ちょうど今頃だったと思います。その朝は、学校に入っても廊下はうす暗く、クラスに着いても中に電気がついていません。大きな1本のろうそくの明かりがあるだけでした。停電なのかと思いましたが、先生は落ち着いていつもの席に座っています。4歳から6歳までの20人ほどの小さな子どもたちも怖がった様子はなく、むしろいつもより静かにしています。
実はこれはクリスマスシーズンに入ったことを体験させる授業の一環でした。それからクリスマス休暇までの1週間、毎朝ろうそくの灯りだけのホームルームが続きました。静かにクリスマスを待つのですね。
聖書にはイエス・キリストを光と呼んでいる箇所がいくつかあります。「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とヨハネ福音書(1:4-5)にあります。
世の中が暗いだけでなく、自分の心の中も暗闇だと感じることがあります。そんなとき、イエス・キリストは希望の光、救いの光をわたし達の心に届けてくださいます。