いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
格差社会という言葉を耳にするようになってから、久しい年月がたちます。そのちょっと前までは、能力主義という言葉が時代を象徴する言葉だったように記憶しています。しかし、格差社会と能力主義は決して無関係な言葉ではありません。能力のある者が優遇される反面、当然の結果として、能力の劣っている者はその分だけ待遇が悪くなるのは仕方のないことです。
もちろん、格差社会は能力主義だけの結果ではありません。残念なことですが、自分の能力とは関係のないところで、チャンスを失うことは人間社会には起こりうることです。ところが格差社会は能力主義の結果であるということが言われるために、能力と関係のない格差の原因までが、能力の差であるかのように思われてしまいがちです。しかも都合のよいことに、格差社会の登場と共に、自己責任という言葉も頻繁に使われるようになりました。自分の責任は自分で負うというのは当然ですが、自分の責任ではない格差さえも、自己責任の一言で片づけられてしまうのは、なんと恐ろしいことでしょう。
能力主義の結果として生れる格差は受け入れざるを得ないとしても、その結果、弱い立場の者が幸福を得る機会から閉めだされることがあってよいでしょうか。
今日の言葉
「弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。」箴言14章31節