いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の中に、面白いくだりがあります。人間社会を皮肉って、人間の歴史は「単に衣服の歴史である」と言っています。人間は平等に裸に生まれたのに、平等であることに安んじてはおられずに、「おれはおれだ、誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい」とこう考えて、人よりも目立つものを身につけ、こうして人間の歴史は衣服の歴史となったというのです。
他人とは違うということを誇示したい思いは、時代と場所とに関係なく人間の本性のようなものです。確かにせっかく平等に生まれたのに、わざわざ人との差別化をすることもないのに、という見方もあるかもしれません。しかし、こうした差別化に対する思いが競争の原理となって、人間社会の発展を引っ張ってきたというのも事実です。競争のない社会というのは一見、平等で平和のように思えるかも知れません。しかし、それは進歩のない社会でもあります。
けれども、本来は人間社会を発展させ、より幸福な社会を作り出していくはずの競争の原理も、人間の罪深い欲望がそこに加わると、たちまち人を苦しめる原理に堕ちてしまいます。競争の原理もまた、神が人間に与えた本性だとは信じますが、その競争の原理を上手に役立てるのはなんと難しいことでしょう。
今日の言葉
「乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば
いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。」箴言17章1節