あさのことば 2012年10月30日(火)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

小堀昇(筑波みことば教会牧師)

小堀昇(筑波みことば教会牧師)

メッセージ: 覆われる幸い

 お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会牧師の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。

 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである」。ローマ信徒への手紙4章7節以下で聖書は言っています。

 ここで、「不法が赦され」と言われております御言葉は、「不法が運ばれた」という言葉なのです。罪が運ばれてしまったということです。神の御前にわたしたちが犯した罪が運ばれてしまって、自分のところからなくなった、そういう意味なのです。昔ユダヤの人々は、犠牲の動物を自分の罪の身代わりに捧げました。そして、その動物に自分の罪を負わせて、自分の罪を運ばせてしまって、その罪が赦された、その確信を得たのです。その時に使われたのが、この「運ばれた」、この言葉でした。

 これは、何を意味しているのでしょうか。イエスの十字架を表しているのです。イエスが十字架でわたしたちの罪を引き受けて下さった、わたしたちから罪を運び去って下さった、だからもう、わたしたちの手元には罪がないのです。次に、「罪を覆い隠された人々は、幸いである」と聖書は言っています。罪は、覆い隠されてしまうのです。新改訳聖書や共同訳聖書では、「覆われた」と訳していますが、わたしたちは罪を犯せば、間違いなく隠そうとします。罪は人には見せたくないのです。ですから、人目のつかない所に隠してしまうのです。そして、良心の呵責に苛まされながらも、毎日を送っているのです。
 しかし、イエスはそのあなたの罪をご覧になって、それを覆って下さる。十字架であなたのために命を投げ出して、あなたの罪を覆って下さる。これが福音なのです。わたしたちの一回だけの人生、あなたの罪を運び、覆って下さるイエス様とともに生きて下さい。

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