いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
今日のテーマは「主の祈り」です。その本文は前半3つの「神のことについての祈願」、後半3つの「人、自分たちのことについての祈願」から成ります。
詩編第13編に「いつまで、わたしの魂は思いわずらうのか。わたしの神、主よ、顧みてわたしに答えてください。…あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び踊り、主に向かって歌います、『主はわたしに報いてくださった』」とあります。この詩のように、わたしたちの私的な祈りはふつう、苦しみを神に訴え、神の救いを求めます、そして聞かれたと思った時讃美のことばが生まれます。これは主の祈りの、第4、第5と6、第3と2、そして第1の祈願の内容に対応します。「主の祈り」では6つの祈願がわたしたちの私的な祈りとは逆の順序にならんでいます。なぜでしょうか。
神のことがらがうまくいく時、人のことがらもうまくいくからです。神の力がよく働く時、神と人との関係が正され、そこから人と人との関係も正されます。神の支配ということを要約して言うと、第1の祈願の内容「み名が崇められる」、つまり「神が神として崇められる」です。これは祈りの頂点です。しかし、なお罪を持って生きる信仰者は純粋な気持ちで口に出せませんから、これは決意表明でもあります。その時人のことがらも解決に向かいます。