いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
人間が持っている感情の中で、悔しいという思いはとても複雑です。それは怒りと似ているのですが、怒りとは違う方向です。
たとえば、自分の不注意で大変な損失を被ったとします。腹立たしい思いがしますが、しかし、自分の落ち度で招いた失敗ですから、その怒りはやり場がありません。あるいは、絶対勝てると思っていた試合に負けたとします。それは単に自分の能力を高く見積もりすぎた結果です。こういうとき、やり場のない怒りは、悔しさとなって自分自身に向かいます。
では、悔しい気持ちから解放されるには、どうしたらよいのでしょう。もちろん、不注意を避けたり、負けないように努力することも大切です。しかし、それだけでは悔しさから逃れることはできません。
失敗や負けからくる損失は、永遠に覆ることがないと思いこんでいるうちは、悔しさから逃れることはできません。またやり直せばよい、という思いを抱くことができれば、悔しさの半分は消えてしまうものです。そして未来への希望を持っていれば、またやり直せるという思いにも至れるものです。たとえ同じことをやり直すチャンスがないとしても、それでも最後には神がすべてを益としてくださることを信じていれば、悔しい思いなど取るに足りないものなのです。
今日の言葉
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」ローマの信徒への手紙 8章28節