いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
今週はネガティブな感情について取り上げています。きょうは「悲しみ」について扱おうと思っていますが、はたして「悲しい」ということがネガティブなことなのかどうか、という疑問の声が聞こえてきそうです。
悲しい気持ちをネガティブなものとして否定されたのでは、かえって悲しみを克服することができなくなってしまいます。罪の結果から生じる悲惨な現状を見て、悲しい気持ちにならないとしたら、それこそ憂うべき事態です。
悲しみがネガティブな感情だという意味は、完成した神の国には、もはや悲しいという感情がいらなくなるからです。事実、神は神の国の完成の時には、「もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(黙示録21:4)と約束してくださっています。もし、すべての人間が神の御心通りに生きていたとしたら、悲しいという感情を人間は経験する機会がなかったことでしょう。
しかし、逆に言えば、神の国が完成するまで、この地上から悲しみの原因は完全に取り去られることはなく、悲しいという感情が消え去ることもないということです。
けれども、このことは、この地上で慰めを得ることは決してないということではありません。聖書の神こそこの地上で悲しみの中にあるわたしたちを慰めてくださるお方だからです。
今日の言葉
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」コリントの信徒への手紙二 1章4節