いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
今週は人間の持っているネガティブな感情について取り上げていますが、「恨み」というのは、相当複雑な感情です。「かっとなって怒る」という表現はありますが、「かっとなって恨む」という言い方はしません。むしろ「積年の恨み」とか「恨みを抱く」というような、継続した感情です。そうであればこそ、恨みは複雑怪奇に増幅しがちです。
何か自分にとって害悪となる行為が目の前で展開している時には、人は怒りをもってそれに反応します。恨みが登場するのはそのあとからです。恨みは害悪を受けた記憶を増幅させて、自分が報復するか、相手が不幸な目に遭って自分の気持ちが晴れるまで続きます。
旧約聖書の詩編を読んでいると、敵に対するうらみつらみを並べたような詩に出会います。確かに恨みを抱くことはほめられたことではありません。しかし、人にではなく、神に対してだけ、自分が抱いている恨みを訴えている限りでは、その恨みには限度があります。人はしばしば神に訴えているだけでは満足できずに、自分で復讐を試みてしまいます。そこに恨みの恐ろしさがあります。
この恨む気持ちに対して、聖書は「(愛は)恨まない」と言っています(1コリント13:5)。恨む思いを克服するには愛が必要です。
今日の言葉
「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」レビ記19章18節