お早うございます。花小金井教会の川瀬です。
愛の定義のその次は、「愛は自慢しない、愛は高慢にならない」です。「ねたみ」は自分が他の人より下のときに起こる感情ですが、「自慢」「高慢」は自分が他の人より上になったときに起こります。わたしたちはいつでも両側の落とし穴に注意をして歩かなければなりません。
ねたむ傾向のある人は、その原因が無くなったとき、つまり自分の方が上になったとき、必ず高慢な人になります。「ねたみ」や「卑下」と「高慢」や「自慢」は、全く正反対のように見えていますが、実は、じゃがいものように地下でつながっている同じ生物であり、形が少し違っているだけです。
「実るほど頭の下がる稲穂かな」ということわざがあります。逆のことわざが韓国にあります。「空の車ほど大きな音を出す」。「自慢」することは他の人だけではなく自分もだますことです。自分の本当の姿を一度もまともに見たことがないのです。
偽りの天秤を神は嫌われます(箴言11:1)。自分の良いところは重く、他の人の良い所は軽く計る。自分の欠点は軽く、他の人の欠点は重く計る。そのような天秤でわたしたちは自分と他の人を計って、自分を誇っているのです。そのような偽りの天秤を捨てる力が愛。すなわち愛とは他の人の良い所を見る能力です。