お早うございます。花小金井教会の川瀬です。
肉体に死があるように、魂にも生きている魂と死んだ魂があります。死んでいる人の最大の特徴は何でしょうか。自分が死んでいるのを知らないことです。わたしはこれまで何10回もお葬式をしてきましたが、葬式の出席者の中でいつでも一人だけ死んでいることを知らない人がいました。死んだ本人です。死んでいる魂は、自分の魂についてこれまで一度も考えたことがありません。死んだ魚はどんなに大きくても、川の流れとともに流れて行きます。しかし生きている魚は、どんなに小さな魚であっても流れに逆らって泳ぐことができます。それが生きている証拠です。
わたしたちの魂が生きているかどうかは愛によって分かります。愛は自然の思いの流れに逆らって進む力であるからです。聖書によれば、愛の最初の印はチョコレートではなく、「忍耐強い」こと、「寛容」です。わたしたちはみな碁や将棋の名人ではありませんが、わたしたちはみな自己弁護の名人です。時間に遅れるとバスが遅れたと言います。つまずいたら石が悪いと言います。石がなければ坂が悪いと言います。後の二つはユダヤの格言です。
そのような弁護を他の人にもしてあげること、それが「忍耐強い」という言葉の意味です。わたしたちはそのような愛をもともと持っていませんので、他の人の失敗や罪を忍耐しないで批判してしまいます。そのような自分の思いに気付くこと、そこに愛の出発点があります。