いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
聖書が語る中心的なことは、イエス・キリストが十字架によってわたしたちのすべての罪を赦してくださったということです。新約聖書のローマの信徒への手紙4章24節でも「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます」と宣言しています。
ところが、そのイエス・キリストは「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」(マルコ3:28-29)と言われました。「永遠に赦されず」などと言われてしまいますと震え上がってしまいそうですが、これは十字架による罪の赦しも及ばない例外があるということなのでしょうか。
そうではありません。イエス様の十字架による罪の赦しは完全なもので、そこから外れるものなどありません。ただ、その十字架の恵みをいただくために、わたしたちは悔い改めを求められます。ところが、聖霊を冒涜するということは、この悔い改めを起こしてくださる聖霊の働きを認めないことになります。そこには罪の赦しはありません。イエス様の十字架のまったき恵みをいただくために、聖霊の導きが不可欠です。あなたもイエス様を信じる信仰を与えてくださるよう、すべてを委ねて生きる者へとなりますよう、祈っています。