ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
ユダヤ人の心理学者であったビクトル・フランクルは、第二次世界大戦中にドイツの強制収容所に入れられ、過酷な囚人生活を送りました。戦後、収容所から解放された彼は、その貴重な体験を多くの人に語り伝えました。そのフランクルはわたしたちが必ず死ななければならないと言う事実について興味深いことを語っています。彼はわたしたちの地上の人生に限りがあることが、わたしたちの人生に大切な意味を与えると教えるのです。
もし、わたしたちの命が永遠に続くとしたら、わたしたちは今日すべきことを明日に引き延ばすことができます。またその次の日も同じように引き延ばすことができます。そうなると、わたしたちは結局何もできなくなってしまうと言うのです。人間は自分の命に限りがあるからこそ、その限られた時間で何をすべきかを考え、賢明になって生きようとするのです。わたしたちに与えられている今日と言う時間は、二度とやって来ません。だからわたしたちは今日と言う日を大切に生きようとするのです。
イエスが語られたたとえ話の主人公は自分の人生に死がやって来ると言う事実を忘れていました。そのために自分の人生に残されていた大切な時間を無駄遣いしてしまったのです。自分の人生の時間には限りがあることを忘れないことは、その人生を生きるために大切なことだと言えるのです。
聖書の言葉
「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」ルカによる福音書12章20節です。