ご機嫌いかがでしょうか。南浦和教会の大場康司と申します。
もし、人生が大きな波瀾もなく苦難もなく全てが自分の好きなように、そして思いどおりになるのなら、それはそれで喜ばしいことでしょう。しかし、そのようなことはまず望めません。必ず苦しみや悲しみを経験します。そして、いつしか人生というのはそのようなものだと、思うようにもなります。
それで、人生に対する不安や心配、恐れが生じます。人生に対して前向きに向かって行けなくなってしまう。また失敗するのではないか。何をやってもだめなのではないか。そのような恐れに捕らわれてしまうのです。しかし、御言葉は告げています。「人は倒れても、打ち捨てられるのではない」(詩編37:24)。わたしたちは、たとえ倒れても、それで終わってしまうのではないのです。なぜなら、「主がその手を、とらえていてくださる」からです。主がわたしたちを堅く支えていてくださる。これは、ただ信仰によって知ることができることです。そして、この大きな幸いの中に自分が生かされていることを知るようにもなるでしょう。
いつも、神さまがわたしたちを確かな御手をもって支えてくださっています。ですから、その御手の中で、喜んで、自由に、わたしたちは生きるのです。そこでは、自分で失敗とか挫折とか考えたことも、もはや決して、失敗でも挫折でもなかったということがわかります。全てのことが、神さまの導きの中で起こったことだからです。
神さまに委ねて、絶えず新しい一歩を歩み始めましょう。神さまはわたしたちのあらゆる恐れや不安を取り除き、わたしたちの歩みをしっかりと支え続けてくださいます。