いかがお過ごしでしょうか。東京恩寵教会協力牧師の千ヶ崎基です。今日も神様の御言葉に聞きたいと思います。
さて、マルコによる福音書3章20節から30節に、イエス様のことを色々な思いで受け止めている人々が出てきます。イエス様の身内の人、律法学者と呼ばれる当時の宗教家たちです。イエス様が病人を癒されると、その中で変な噂が流れ始めました。「あの男は気が変になっている」と。身内の者たちはそれを恥ずかしく思い、取り押さえに来ました。変な噂をされているイエス様と関係があるだけで恥ずかしさを覚える。日曜日に教会に行っている、キリスト教の信仰を持っていることに対して恥ずかしく思ってしまう。それは、人々の心に生じることがあるようです。
更に、当時の宗教家たちは、イエス様は純粋な素晴らしい力ではなくて、悪霊の悪しき力で病気を癒し、人々を惑わしていると言いました。彼らはイエス様を前にして、悪しき者だと言い、イエス様との溝を深めていきました。
イエス様という御方を何者として見るか。イエス様を救い主として受け入れ、親しみを持って従っていくのか。それとも拒むのか。それは大きな分かれ道となります。わたしたちの側から神様を見る目、神様に対する態度を改めて考えさせられる聖書の御言葉だと思います。わたしたちのことを、愛を持って招いて下さるイエス様のことを、わたしたちの心を愛で支配して下さる救い主として受け止めていくことが出来るように、今日も祈りたいと思います。